2日前の金曜日から、ななちんが、
「ねぇねぇおかあさん、おかあさんに
プレゼントあるからね!(^▽^)♪
3Dだよ!楽しみにしててね!」と予告。
プレゼントを早々にあげたかったみたいだけど、
「日曜日にもらいたいから、日曜日にね♪」
とお願いして、今朝の日曜日。
「おかあさん、いつもしごとと、おそうじをがんばって
ななみのことかわいがってくれてありがとう(^▽^)
はい、これプレゼント♪」
と言って、立体で私の顔が浮き出た手紙と
「なんでも券」の5枚セットをプレゼントしてくれました。
ななちんなりにとても一所懸命に作ってくれたようです☆
学校と、学童で作ってくれた、心のこもったプレゼント
(:_;)嬉しすぎます。。。
(心がこもりすぎたのか、「肩たたき券」⇒「
かたたき券」になっていましたが。。。)
しかもこの誤字、去年も同じ間違いでした(^^)かわいいなぁ。
さっそく、5枚セットの内の1枚を使わせてもらいました☆
プリキュアを見終えて後作り出した朝ごはん。
今日の朝ごはんは余ったパンで作った
「フレンチトースト」。
フレンチトーストは私の母の十八番。
私が小学生の頃、家の朝食はパン食だったので
いつも余る食パンで作ってくれたフレンチトースト。
少し砂糖が多め、バターも多めであまじょっぱい。
そのトーストに、砂糖入りの温めた牛乳のセット。
そのモーニングセットは私にとってまさに「母の味」。
たびたびブログに書いてはありますが、
私の母も元シンママ。
私は4姉妹の内の末っ子で、
母は私が生まれてまもなく離婚。
その後母は、4人の子どもを一人で抱え
家庭をきりもりするために昼夜働くようになったので、
私の幼い頃の記憶に、「家にいる母」という
画はなく、3人のねぇちゃんと留守番をする日々。
私が小学生になってから、母は夜居酒屋を経営。
仕込みとかもある関係で家に帰ってくるのは朝方。
その後私たちを学校へ送り出して眠り、
帰ってきた頃に支度をして、また仕事に。。。という生活。
私たちを学校へ送り出す際によく作ってくれたのが
そのモーニングセットというわけです。
母譲りのモーニングセットを食べ終えた私とななちん。
ななちんのお手伝い券を利用して、
早めに家の掃除を終えた私たちは、
中部にある「ミニミニ動物園」に行ってきました。
その帰りにななちんへ「なーな、すーず(私の母)に
電話かけてみて♪」とお願い。
2週間ぶりに耳にする母の声。
ななちんが電話する横で、電話からもれる
母の陽気な声。どうやら出先の様子(^^;)
私の母は、私が大学に入学したと同時に再婚。
福岡へ嫁いでいったので
母とはすぐに会える状況にありません。
それでも母は年に1回帰ってきては
ななちんと私をかわいがってくれます。(笑)
ななちんとの電話を少しやりとりさせた後に
私と電話交替。
私:「母さん、いつもありがとう。」
母:「あぁ、ありがとうね~、あなたも
そんな風に電話かけてきてくれるまでに
成長したのね~(笑)よかったわ~(^^)」
なんて笑いながら。。。
姉妹みんなであわせて送ったお金のお礼も
言ってくれて。
(プレゼントをあげるよりは、、、という決断だったので)
私:「これからもよろしくね♪」
母:「はいはい~、じゃあまたね~」
という軽い口調で電話を切った。
照れと溢れ出る感謝の気持ちをコントロール
できそうになくて早々にきった電話。
目頭が妙に熱い。
本当はね。。。。
すごく感謝してます。
言葉では言い尽くせないぐらい。
24歳で離婚した母。4人の小さい子どもたちを
一人で育てようと決意した。
24歳って今思えばまだまだ子ども同然。
母方の祖母も早くに亡くなっている上に
母は長女だったこともあり、みんなのお姉さん役。
本当はたくさん遊びたかっただろう。
本当はたくさん甘えたかっただろう。
母はすごく気丈で、「悩むよりも行動する」人。
凛としていて、ちょっとなよっとした男性より
断然「男気質」。
悩みをもってるなんて、見えないぐらいさばさばしている。
ある意味私にとって、母は「父親」でもある人。
そんな母でも、本当に辛かったんだろう。
1度だけ、留め金が外れてしまったかのように
私とねぇちゃんたちの前でわんわん泣き出したことがあった。
私とねぇちゃんが誤ってラーメンをこぼしてしまい
それを拭きながら。。。
あれ以来母が「辛くて泣いた」という涙は一度も見たことない。
ねぇちゃんたちにとって母は「姉妹」の感覚らしいですが
私にとって「母」はいつまでも「親」の感覚。
そんな風に私だけ甘えることができたいたからか、
他のねぇちゃんたちは私を「うらやましい」と思うぐらい
私は4姉妹の内で一番恵まれていた存在のようです。
他のねぇちゃんたちは、やりたいことを我慢して
専門学校に行ったり、就職したりした中で
私は高校時代はバイトはしたけども、
大学に行きたいと言ったら
入学金どころか塾代まで出してくれた。
だから、それぐらいがんばってくれていることを
私は知っているから、
母に叱られることはあっても、喧嘩どころか
反抗さえしたこともない。
(ねぇちゃんたちは言い合いもしていたけど。)
私にとって母は「絶対」な存在なんです。
時しばらくして、母に1度だけ聞いた、
「なぜ今の旦那さんとの結婚を決めたのか。」という理由。
母「経済的にもあんたたちを援助してくれそうだったし、
福岡に嫁いでも沖縄に定期的に帰るのを
了解してくれそうだったからよ。
あんたたちのことも愛してくれそうだからね~。
お母さんはモテてたんだよ~、選び放題のうちから
選んだんだからね~(笑)」
(文中後半については本当かどうかは貞かでないけど)(^^;)
私たちの為に再婚してくれた。。。ということなんだろう。
私たちの為に、自分のことは2番として
常に働き続け、愛し続けてくれた母。
『母は無償の愛を子にささげる』の一言に尽きるだろう。
母は常に私たちを見守り、支えてくれた。
いいときは褒めて、悪いときは叱り
それ以外のことは何も口出ししない。
子の意思を尊重し、「見守る」ことを徹底する母の教育方針。
だから、私が離婚するときに母は涙しながら言った。
「あなたが幸せなら、お母さんはなにも言わないよ。
あなたの好きなように生きなさい。あなたの人生なんだから。」
あれから6年。
再婚当時の母の希望はどうだったか知らないけど、
今、とてもやさしい旦那様と共に穏やかに暮らし、
趣味のパッチワークでもって「先生」と呼ばれる職につき
とても生き生きした生活を送っている。
母も私の生活ぶりを見て、聞いて、昔に比べて少しは安心してくれている様子。
贅沢なプレゼントをあげるぐらい母を安心させてあげられるのは、
まだまだだけど、早く安心させてあげたいなぁ。。。(^^;)がんばらなきゃ。
ミニミニ動物園からの帰りの電話を切り、
目頭を熱くした私をななちんが見て
「おかあさん、どうしたの?」と一言。
「ん?なんでもないよ~」(^^)と私。
ななちんは、私の小さい頃と比べて
全然できた子。
私が小さい頃は自分が遊ぶのに必死で
親の心配なんて、あの母の涙を見るまで
一度もなかったのに。
ななちんは母の日でなくてもいつも
「おかあさん、いつもありがとう」って
言ってくれる。
私なんかにはもったいないぐらい。
私:「今日の夕飯、何食べたい?」
ななちん:「ん~、スパゲティ!」(^▽^)♪
単純明快。母の十八番を私が受け継いで
私の作るスパゲティもまた大好物のななちん。
麺になじまないぐらい水気がない、具沢山のミートソース。
受け継がれていく「母の味」でもって
今日も夕飯をたいらげました(^^)☆
ごちそうさまでした♪
偉大な母の元に私がうまれてこれたこと
ななちんが私の子になって、私に「母」という存在を教えてくれたこと。
全ての奇跡に感謝☆です♪